タイトルに引き付けられた方こんにちは。

私がひきつけられ、彼らが冒され夢中になったもの
ロックンロール
私は音楽に全く詳しくないので、音楽のジャンルというものの違いもよくわかっていません。
それでも、彼らが奏で夢中にさせられたロックンロールというものが気になったので調べてみました。
ロックンロールとは何なのかについて
こういう時に一番最初に頼るのは、やっぱりWikipedia先生です。
ロックンロール(Wikipediaより)
ロックンロール(Rock and Roll, Rock ’n’ Roll)は、1950年代半ばに現れたアメリカの大衆音楽スタイルの呼称である。語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味もあり、1950年代はじめには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。これを一般的に広め定着させたのは、DJのアラン・フリードであった。
1960年代半ば以降には「ロック」という呼び方が一般化し、「ロックンロール」と呼ぶことは少なくなった。一方で、「ロックンロール」と「ロック」は別の物として使われることがある。1960年代半ばには、ロックンロールが進化して抽象的、芸術的なものも生まれ、新たなサウンドが登場し、それらの総称として「ロック」という言葉が使われるようになった。
Wikipediaより
ロックンロールは、リズム・アンド・ブルースや、ブルース、ゴスペルなどの黒人音楽を基に、カントリー・アンド・ウェスタンやブルーグラスなど白人の音楽スタイルを融合させて成立したとされている。ロックンロール第1号がどの曲かということは、しばしば議論の対象となってきた。一般的にはビル・ヘイリーとヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1954年)やエルヴィス・プレスリーの「ザッツ・オールライト」などが有力候補だが、時にはジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの「ロケット88」(1951年)が最初の曲だとする説も登場する。また、それ以前のいずれも1949年の曲であるファッツ・ドミノやシスター・ロゼッタ・サープ、ゴリー・カーター、ジミー・プレストンの曲をあげる者もいるが、少数意見である。
ロックンロールの楽器編成は、エレクトリックギター、エレクトリックベース、ドラムスという構成が代表的である。ジェリー・リー・ルイスらのようにピアノを主体にする例、プレスリーやエディ・コクランがときおり見せたようなエレクトリックギターの代わりにアコースティック・ギターを使う例、ロカビリーの一部のように、エレクトリックベースの代わりにアコースティック・ベース(ウッド・ベース、アップライト・ベース)を使う例など多彩である。
尚、主に白人ミュージシャンによるロックンロールの中で、特にカントリー・アンド・ウェスタンの要素が強くビートを強調したものをロカビリーと呼ぶ。Wikipediaより
…結局のところよくわかりません。

調べていく中で、ロックンロールの黎明期に生み出された曲に「ハートブレイク・ホテル」「ラヴ・ポーションNO.9」などがあり、吉井さんが影響を受け、リスペクトしているロックンロールがこれで間違いないとは思えました。
「Rock and Roll」「Rock ’n’ Roll」の意味について考える

という自分への言い訳をしながら、ロックンロールの意味について考えます。
中学生レベルの英語力で直訳すると「転がる岩」。
しかし、調べるとRockには自動詞としての「揺れ動く、振動する」、他動詞としての「揺り動かす、動揺(感動)させる」という意味があることを知りました。
さらにはロックンロール自体の語源が、黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味をもっていたことや、1950年代はじめに「バカ騒ぎ」や「ダンス」の意味を持っていたことも。

私の中の結論としては、変化し続けるということ。
STONE BUTTERFLYの歌詞解釈にも書きましたが、転がる石には苔はつかず、ずっと新鮮なまま。
ロックンロールという存在はそれを体現していて、あらゆるものを飲み込み、受け入れて進化し続けていく。

とらえどころがなく、「コレ」という決まった形はなく、人の数だけ違う姿を持つ。
そんなロックンロールだから彼らは犯され、私たちは魅了されるのかもしれません。
「HONALOOCHIE BOOGIE」と「ロックン・ロール大臣」
我らがTHE YELLOW MONKEYがリリースした曲の中にある「HONALOOCHIE BOOGIE」
世界初のモット・ザ・フープルのトリビュート・アルバムに収録するために、吉井さんが和訳ではなく歌詞を作成してカバーした曲です。
レコード会社としても吉井さんとしても気に入っているのか、4度アルバムに収録されました。

HONALOOCHIE BOOGIEの歌詞
HONALOOCHIE BOOGIE
作詞:lan Hunter/Kazuya Yoshii
作曲:lan Hunter
唄:THE YELLOW MONKEYやり切れないのさEvery Day
ビルの股の下で眠る
貧乏、大臣、大大臣 俺は普通の日本人「お金が無いから仕事に行かなきゃ
でもアイツにこき使われるのは
小さいクツを履く位イヤなんだよな…
休んじゃおう お腹すいたな」
年がら年中Honaloochie Boogie yeah
ボロは着てても心は錦
Honaloochie Boogie yeah
チャック・ベリーって何だ?ただだらだらと伸びる髪
さらにビートは強くなる
社会のルールよすいません
いつかロックン・ロールで返します「仕事が無いから探しに行かなきゃ
でも雨が降りそうだし
クツの先が濡れるのは不快だし
今日もギターを弾いてよう」
コードは勉強中Honaloochie Boogie yeah
ボロは着てても心は錦
Honaloochie Boogie yeah
輝いてたいな
Honaloochie Boogie yeah
今はダメでもいつか神様
Honaloochie Boogie yeah
ロックン・ロール大臣・・・いいよね・・・Honaloochie Boogie yeah
身から出たサビだけじゃないのさHonaloochie Boogie yeah
青春は長いな
Honaloochie Boogie yeah
ボロは着てても心は錦
Honaloochie Boogie yeah
タバコが無いな・・・
チャックベリー:ロックンロール創始者の1人で「ロック界の伝説」と敬われ、最初期のギター・ヒーローとして認知されている。
(Wikipediaより)
ロックンロールそのもの、そしてそれを作り上げてきた人たちへのリスペクトを強く感じる歌詞。
そして、自分もその礎といえるような存在になりたいという野望。

Mott the HoopleとTHE YELLOW MONKEYの共通点
そして、MOTHER OF ALL THE BEST、ヨシー・ファンクJr.~此レガ原点!!~に入れた理由のひとつと私が感じているのが、HONALOOCHIE BOOGIEの原曲をリリースしたモット・ザ・フープル (Mott the Hoople) との共通点。
デビュー当初からライヴが好評だったが商業的に振るわず、1972年3月26日のチューリッヒ公演の後、ついに解散を決定する。しかし、早くからファンだったデヴィッド・ボウイが、その話をオヴァレンド・ワッツから聞き付け、メンバーを説得、楽曲の提供とプロデュースを申し出る。当初、ボウイから提示された曲は「サフラジェット・シティ」(『ジギー・スターダスト』収録)だったが、モット・ザ・フープル側はこれを拒否、改めてボウイは別の楽曲を提供、モット・ザ・フープル側も大変気に入ったのが、「すべての若き野郎ども (All the Young Dudes)[1]」である。CBS移籍後に発表されたこの曲は、モット・ザ・フープル最大のヒットとなり(全英3位)、またグラムロックを代表する曲のひとつとなった。ちなみにボウイは、「ドライブ・イン・サタディ」(『アラジン・セイン』収録)も提供しようと持ち掛けたが実現しなかった[2]。これは自作曲「ホナルーチ・ブギ」がヒットした事もあり、新たな曲提供は不要とモット・ザ・フープル側が断ったためである[3]。ボウイは、もし実現していたら素晴らしい仕上がりになったであろうと回想している。
モット・ザ・フープル (Mott the Hoople) Wikipediaより
カバーを行った96年というのは、THE YELLOW MONKEYがやっとCDが売れるようになったころ。
それまでは、ライブの盛り上がりとは裏腹にCDが売れないという苦悩の時期でした。

しかもモット・ザ・フープルの運命を変えたのが、敬愛してやまないデヴィッド・ボウイ。
吉井さんの思い入れが強くなるのも当然でしょう。
「ロックン・ロール大臣」
私はこの言葉がずっと頭から離れないのです。
生き様がロックンロールな大臣。
きっと楽しいでしょうけど、めちゃくちゃになることが想像されます。
しかしながら、この「ロックン・ロール大臣」は2013年にイギリスで誕生します。(もともとロックンロール大臣だったみたいではありますが)

アルバム制作の理由が、「やるべきだと思ったから」

コメントをください。